東京地方裁判所 平成6年(ワ)5905号 判決 1996年1月22日
原告
三井信託銀行株式会社
右代表者代表取締役
藤井健
右訴訟代理人支配人
小高正春
右訴訟代理人弁護士
内藤潤
同
木村久也
同
樋口孝夫
同
井上広樹
同
森雄一郎
同
西村直洋
被告
麻布建物株式会社
右代表者代表取締役
渡辺喜太郎
右訴訟代理人弁護士
三宅能生
同
山崎順一
同
長屋憲一
同
小野吉則
同
藤岡淳
同
小倉京子
同
毛野泰孝
主文
一 原告と被告との間において、原告が別紙供託金目録記載の各供託金の還付請求権を有することを確認する。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一 当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
主文同旨
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求の原因
1(一) 原告は、平成四年一月一三日、被告との間で、原告が被告に対して現在及び将来有する一切の債権(以下「被担保債権」という。)を担保するために、被告が別紙担保権目録記載の各賃借人(以下「本件賃借人」という。)との間で同目録記載のとおりに締結した各賃貸借契約(転貸借契約を含む。以下「本件賃貸借契約」という。)に基づく同目録記載の各目的債権(以下「本件賃料債権」という。)について、被告が原告に対して譲渡する旨の譲渡担保設定契約(以下「本件譲渡担保契約」という。)を締結した。この場合において、原告が被告に対し本件賃料債権の取立てを委任するとともに、原告が被告及び本件賃借人に通知することによりいつでも右取立委任を解除することができる旨合意された。
(二) 本件賃借人は、別紙担保権目録記載の賃借人の承諾日において、本件譲渡担保契約に基づく譲渡担保権の設定について承諾した。
2 原告は、平成五年三月一〇日、前項の約定に基づき、被告及び本件賃借人に通知して、同項の取立委任契約を解除し、以後は自ら直接賃料を取り立てることとした。
3 ところが、被告は、平成五年四月二一日、原告に対し本件譲渡担保契約を解除する旨を通知するとともに、本件賃借人に対し、本件譲渡担保契約が解除されたため賃料等を被告宛に支払うように催告した。
4 そこで、本件賃借人は、真の権利者を確知できないとして、別紙供託金目録記載のとおり、本件賃貸借契約に基づく賃料等の弁済のために供託している。
5 よって、被告による本件譲渡担保契約の解除は無効であって、原告が別紙供託金目録記載の供託金の還付請求権を有するから、原告は、被告に対し、その確認を求める。
二 請求の原因に対する認否
1 請求の原因1(一)のうち、被告が本件賃貸借契約を締結していることは認めるが、その余は否認し、同(二)は知らない。
原告は、被告会社に出向させ又は派遣した原告社員をして、当時被告の代表取締役会長であった渡辺喜太郎(以下「渡辺」という。)の承諾を得ずに無断で被告の代表者印及び社判を使用させて「麻布建物株式会社代表取締役渡辺喜太郎」名義の賃料債権等譲渡担保差入証書(以下「本件差入証」という。)を作成したものであり、被告が原告との間で本件譲渡担保契約を締結したことはない。
2 請求の原因2のうち、被告に通知があったことは認め、その余は不知。
3 請求の原因3及び4は認める。
三 抗弁
1 本件譲渡担保契約の締結に至る経緯
(一) 被告は、昭和三九年一二月二二日に渡辺によって創設された会社であり(当時の社名「麻布自動車産業株式会社」、昭和五三年一二月一八日に現社名に変更)、原告は、昭和五九年ころから被告との取引を開始し、以後メインバンクとして取引を続けていた。
(二) 原告は、平成三年七月当時、被告及びその関連会社(以下、併せて「麻布グループ」という。)に対して、約一一三五億二三〇〇万円の貸付けを行っていたが、麻布グループの業績悪化に伴い、非常勤顧問として被告に派遣された原告監査役の柴田敏海を通じて、渡辺に対して、麻布グループの再建を図るためにその経営に関する一切を原告に委任するように要求した。
そこで、渡辺は、同月二九日ころ、原告に対し、麻布グループの経営に関する一切を原告に委任する旨の委任状(以下「本件委任状」という。)を交付して、麻布グループの経営を委任した。
(三) 原告は、岡野一郎、北伸行、栗田英俊、鈴木幸一ら多数の原告社員を被告に出向させ又は派遣した上、渡辺の承諾を得ずに、不動産、自動車、有価証券、ゴルフ会員権、宝石、絵画等麻布グループ及び渡辺とその家族の資産について担保権を設定させ、又は売却させた。
さらに、原告は、同年一二月二五日ころ、渡辺を代表取締役会長に、柴田敏海を代表取締役社長に、岡野一郎を代表取締役専務に就任させ、被告社内に岡野を委員長とする経営委員会を設置して原告と協議しながら被告の重要事項を決定し実施することとし、そのほか、岡野が被告の実印及び取引印を管理すること、被告の保有資産を売却して被告の事業を整理することなどを決めた。
2 公序良俗違反
原告は、前記のとおり、麻布グループに対して約一一三五億二三〇〇万円の貸付けを有する金融機関であるとの優越的立場を利用して、被告の役員人事に干渉したほか、経営委員会を設置するなどして、原告からの出向者らを通じて、被告の経営を支配し、もって、渡辺の意思に反して本件譲渡担保契約の締結を含め被告の資産につき売却又は担保権の設定をさせたが、このような原告の行為は、優越的地位を濫用し、取引先に対して通常行いうる行為の範疇を逸脱し、正常な商慣習に照らして不当なものであって、昭和五十七年公正取引委員会告示第十五号一四項四号に該当し、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(以下「独禁法」という。)一九条の規定に違反し、その目的、手段からみて公序良俗に違反する。
3 詐欺取消又は錯誤
(一) 原告は、真の目的が被告の乗っ取りにあったにもかかわらず、渡辺に対し麻布グループの再建のためであると偽って、同人にその旨誤信させて、前記のとおり原告に経営を委任させ、右経営委任の一環として本件譲渡担保契約を締結させた。
渡辺においても、原告に対して経営を委任をすることにより麻布グループの再建が行われるものと信じ、右経営委任が麻布グループの再建のためであるとの動機を表示して、前記のとおり経営を委任し、その一環として本件譲渡担保契約も締結されたものである。
(二) したがって、本件譲渡担保契約は、その意思表示の要素に錯誤があるから無効であり、かつ、被告は、平成六年五月一六日の本件口頭弁論期日において、本件譲渡担保契約を詐欺に該当するとして取り消す旨の意思表示をした。
4 解除
本件譲渡担保契約において、原告と被告の間では、右譲渡担保権が麻布グループの再建に資する場合にのみ実行され、麻布グループの再建のための経営委任が終了した場合には効力を消滅することが合意された。
しかるに、原告が麻布グループの乗っ取りを行おうとしていたことが明らかとなったため、被告は、平成五年三月四日、臨時株主総会において、原告からの出向取締役らを解任し、もって原告に対する経営委任を解除し、前記のとおり、原告に対し、本件譲渡担保契約を解除する意思表示をした。
5 民法九三条ただし書の類推適用
原告からの出向者らは、被告の利益を図るためにのみ被告を代表する権限を有し、これ以外の者の利益を図るために被告を代表する権限は有しなかったにもかかわらず、被告の利益のためではなく、もっぱら原告の利益を図る目的で、本件譲渡担保契約を締結したが、原告は、自らこの譲渡担保の設定を指示したのであり、当然このような原告からの出向者らの意図を知っていた。
したがって、本件譲渡担保契約は、民法九三条ただし書の類推適用により無効である。
6 取締役会決議の不存在
本件賃料債権は、被告の主たる財産であり、これに譲渡担保を設定することは「重要ナル財産ノ処分」(商法二六〇条二項一号)に該当するにもかかわらず、被告において、本件譲渡担保契約の締結について、取締役会の決議を経ず、原告はこの事実を知っていた。
四 抗弁に対する認否及び原告の反論
1(一) 抗弁1(一)の事実は認める。
(二) 同(二)のうち、渡辺が原告に本件委任状を交付したことは認めるが、その余の事実は否認する。
本件委任状は、渡辺が、原告に支援を続けてもらうために自発的に持参してきたものであって、原告としては、経営委任を受けたという意識はなく、被告に対して受諾の意思表示をしたこともない。
(三) 同(三)のうち、原告が被告に原告の社員を出向させ又は派遣したこと、渡辺が代表取締役会長に、柴田が代表取締役社長に、岡野が代表取締役専務になったこと、原告が被告の主張する被告の資産に担保権の設定を受けたことは認め、その余の事実は否認する。
原告が被告に人員を出向させ又は派遣したのは、被告が多数の金融機関から巨額の借入れを抱えて経営困難に陥っていたために、メインバンクとしてその再建を支援するとの観点から、しかも、渡辺からの強い要請を受けてしたものである。また、経営企画室は、平成四年一月に設置されたが、二、三の案件を除いてほとんど機能しないまま終わっている。
原告による人員派遣後にされた被告の保有資産についての処分又は担保権の設定は、重要なものについては渡辺の承諾を得ている。
2 抗弁2について
抗弁2は否認する。
原告において、被告の経営を乗っ取る意思はなく、原告が被告会社に人員を派遣したり、被告の保有資産について処分をし又は担保権の設定を指示するなどした行為に独禁法に違反するところはない。
本件譲渡担保契約の締結は、原告の債権保全のためにされた相当な行為である。
3 抗弁3について
抗弁3は否認する。
前記のとおり、原告と被告との間において、被告の主張するような経営委任契約は存在しなかったのであり、本件譲渡担保契約は、債権保全の目的から締結されたものである。
4 抗弁4について
抗弁4のうち、平成五年三月四日の臨時株主総会で原告からの出向取締役が解任された事実は認め、その余は否認する。
5 抗弁5について
抗弁5は否認する。
本件譲渡担保契約の締結は、被告においてはその代表者渡辺の承諾の下にされたものであり、原告からの出向者らが被告を代表又は代理して行ったものではないから、民法九三条ただし書が類推適用されない。
6 抗弁6について
抗弁6は否認する。
本件譲渡担保契約の締結は、「重要ナル財産ノ処分」に該らない。そもそも賃料債権は商法二六〇条二項一号に規定する財産に該当せず、また、被告の主たる収入は賃料収入ではなく不動産及び有価証券の転売差益であって、しかも、本件賃料債権は年間約二一億円にすぎず、その会社の総資産約五四二二億円の二〇〇分の一にも満たないものであって被告にとって財産的価値は大きくなく、その上本件譲渡担保契約においては被告に賃料の取立委任がされ、取り立てた賃料を従前どおり運転資金として利用することが許されていた等の事情を総合的に考慮すると、本件譲渡担保契約の締結が重要な財産の処分に該らないことは明らかである。
なお、原告は、被告が本件譲渡担保契約の締結につき取締役会の決議を経ていないことを知らなかったし、知りえなかった。
五 再抗弁(抗弁6に対して)
本件譲渡担保契約の締結は、被告の営業継続のために必要不可欠である上、被告の株式を一〇〇パーセント支配している渡辺が事前に承諾をしているのであるから、右取締役会決議の不存在という形式的瑕疵をとらえて、しかも本件訴訟が提起されて初めて右瑕疵による無効を主張することは、信義則に違反する。
六 再抗弁に対する認否
再抗弁については否認ないし争う。
本件譲渡担保契約は、原告がその社員を被告に出向させ又は派遣して被告の取締役等に就任させることにより被告を支配し、被告が右のような原告の支配下において異議を述べることが不可能であった状況において、被告の意思を無視して締結されたものであり、しかも、被告において原告の支配を脱した後直ちに調査を行い、前記のとおり、平成五年四月一二日付けで本件譲渡担保契約の解除を原告に対して通知しているのであるから、右契約の無効を主張することは何ら信義則違反に該らない。
第三 証拠
訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。
理由
一 請求原因1について
1(一) 請求原因1(一)について、そのうち被告が本件賃貸借契約を締結している事実は、当事者間に争いがない。
同(一)のその余の事実については、甲第一号証の一から二二まで、第二号証、第九号証の一から二二まで、第二八号証、乙第一六号証並びに証人高田時子(以下「高田」という。)及び同坂本古志郎(以下「坂本」という。)の証言によれば、これを認めることができる。
なお、被告は、甲第一号証の一から二二までについて、原告からの出向者らが、当時被告の代表取締役会長であった渡辺の承諾を得ずに無断で、被告の代表者印及び社判を使用して偽造したものである旨主張し、被告代表者本人も、被告において各書類に決裁印を押すについて作成される押印申請書に社長及び副社長が押印しないことはありえないとして、本件差入証が作成されたことを知らなかったと供述している。しかしながら、右甲号各証については、被告名下の印影が被告の印章によるものであることは当事者間に争いがないので右の印影が被告の意思に基づいて顕出されたものと推定されるから、真正に成立したものと推定すべきであって、その推定を覆すに足りる証拠はないといわなければならない。なぜならば、原本の存在及びその成立に争いがない甲第二号証、第一〇号証から第一四号証まで、第二五号証、第二九号証、被告代表者本人の供述によって真正に成立したと認められる乙第一六号証及び高田の証言によって真正に成立したと認められる乙第二五号証並びに同証言及び被告代表者本人の供述の一部によれば、高田は渡辺のいとこであって、昭和三八年に被告に入社し、被告の経理事務を担当していた者であるが、平成四年一月一三日当時、被告の代表者印、銀行印、渡辺の実印等を保管していたこと、被告においては、事務処理手続において決裁事項ごとに押印申請書を作成する慣例になっていたが、押印申請書には、提出先、書類名、使用目的、稟議について記載すべき欄があり、押印欄として担当者ほか、部長、専務、副社長、社長の欄が設けられていたこと、したがって、各書類の決裁について押印申請書が高田を経由することになり、高田において押印申請書を確認して各書類に押印することとなっていたこと、本件差入証もまた高田が押印申請書(甲第二号証)に基づき代表者印を押印したこと、もっとも、本件差入証を作成するために提出された押印申請書の社長、副社長の欄には押印がされていないが、常務欄には被告の生え抜きの社員で当時被告の常務取締役であった井上剛の、担当者欄には同じく被告の生え抜きの社員で当時被告の財務副部長であった灘岡建生の、欄外には原告からの出向社員で当時被告の管理本部長であった北伸行の印章がそれぞれ押されていること、本件賃料債権を譲渡担保に供することについての稟議書(乙第一六号証)においても社長、副社長の押印欄には斜線が引かれているが、決裁手順に従って起案者山口一之、その所属上司として灘岡、起案本部長として北の押印があるほか、当時被告の代表取締役専務であった岡野の印影も顕出されていること、以前から押印申請書に渡辺の決裁印が押されていない場合であっても同人の確認を得て申請された書類に押印することがあったことが認められ、前記の被告代表者本人の供述部分は、たやすく信用できず、そのほか甲第一号証の一から二二までの真正な成立を疑わせるべき証拠はなく、原告からの出向者らが本件差入証を偽造したとの事実を認めるに足りる証拠もない。
(二) 同(二)の事実は、前掲甲第九号証の一から二二まで、第二八号証及び証人坂本の証言によって、これを認めることができる。
2 請求原因2のうち、被告に通知があったことは当事者間に争いがなく、その余の事実については、甲第一五号証及び弁論の全趣旨により、これを認めることができる。
3 請求原因3及び4の事実は、当事者間に争いがない。
二 抗弁について
1 甲第三号証、第四号証、第一六号証、第二一号証、第二二号証、第二六号証、第二七号証、第二八号証、乙第一号証、第二号証の一、二、第三号証、第四号証、第五号証の一から三七まで、第六号証から第九号証まで、第一〇号証の一、二、第一八号証の一、二、三、第二五号証、証人坂本の証言、同高田の証言及び被告代表者本人の供述並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められ、甲第二七号証(被告代表者渡辺本人に対する調書)及び被告代表者本人の供述のうち、右認定に反する部分は採用しない。
(一) 被告は、昭和三九年一二月二二日、現在の被告代表者である渡辺が麻布自動車産業株式会社として創設した会社で、昭和五三年一二月一八日に現社名に商号を変更し、その目的を不動産の賃貸、売買及びその仲介斡旋等とし、昭和五四年二月から平成五年三月までの間の資本金が一億円であるものであるが、関連会社数社とともに麻布グループを形成している。被告の株主構成は、平成四年一月当時、その発行株式二〇万株のうち渡辺が代表取締役を務める麻布自動車株式会社が一二万株、同じく麻布レジエント株式会社が一万九九八〇株、渡辺が四万七九六〇株、渡辺の妻佳子が一万二〇六〇株であるが、右麻布自動車株式会社については、その発行株式二〇万株中一六万株を被告が、一万株を渡辺が保有し、麻布レジエント株式会社については、その発行株式一〇〇〇株中八一八株を渡辺が、一八〇株を渡辺の妻佳子が保有している。
原告は、昭和五九年八月二〇日、被告との間で銀行取引約定書を交わして取引を開始し、それ以来、被告のいわゆるメインバンクとして取引を続け、平成元年八月には原告監査役の柴田敏海を被告の非常勤顧問として派遣した。なお、右銀行取引約定書には、債権保全を必要とする相当の事由が生じたときは、請求によって直ちに債権者において承認する担保若しくは増担保を差し入れ、又は保証人をたて若しくはこれを追加する旨記載されている。
(二) 被告は、主に、銀行等からの融資金で都心部の不動産及び株式等を購入し、十分な含み益ができたところでこれらを会社の資金需要に応じて売却することを行ってきたが、戦後の不動産及び株式の価格の上昇に伴い順調に成長した。しかしながら、被告の業績は、平成二年ころの株式相場の暴落及びその後の不動産価格の低迷により急激に悪化し、平成三年七月には、各金融機関からの借入金債務は、原告分一三八二億九九一九万一〇〇〇円を含め総額五四九七億三一六六万三〇〇〇円にも上り、毎月の金利の支払額も三〇から四〇億円の不足を生じた。
(三) 渡辺は、金利の支払いが滞り各金融機関から強制執行されることを懸念して、原告に対して、平成三年三月までに一五〇〇億円に相当する保有資産を売却して借入金を減縮することを内容とする再建計画案を提出して支援融資を含めた再建への支援を要請した。原告は、右再建計画案について検討した結果、平成二年一二月ころ、被告の再建に協力することを決定した。
そこで、原告は、同月から平成四年一月まで原則として毎月一回の割合で手形貸付による方法で他の債権者に対する金利の支払いその他日常の活動に必要な資金を支援するための融資をするとともに、平成三年八月一日からは、渡辺の要請を受け、被告の再建のために人材を派遣することとし、岡野一郎、北伸行、栗田英俊、鈴木幸一を含む十数名の原告社員を被告に出向させ又は派遣した。そして、原告は、被告に対する支援を実施するために、当時原告の営業推進本部プロジェクト推進室の部長であった坂本が原告からの出向者らから被告会社の事業遂行について概括的な報告を受けたほか、渡辺と月四、五回以上も面談するなどした。
そのころ、渡辺は、自ら、被告会社ほか麻布グループの再建を依頼する趣旨で麻布グループ企業の経営に関する一切の権限を委任するとの内容の本件委任状(乙第四号証)を作成して原告に交付したが、その内容について原告との間で具体的な話し合いはなかった。
(四) ところが、不動産の市況は好転せず、それに加えて渡辺の消極的態度もあって、被告において先に提出した再建計画案に沿って所有不動産の売却を円滑に進めることができず、そのため原告が被告に対して融資を行う上において担保が不足する事態が生じ、今後の融資を継続することが困難となった。そこで、坂本は、原告において融資を継続し、併せて他の債権者から被告の保有資産を保全し、もって被告の再建を図るため、平成三年一一月ころ、被告本社に赴き、渡辺及び当時被告の顧問であった柴田に対し、株式、絵画、宝石、ゴルフ会員権、賃料債権等の担保余力のある資産について原告のために担保として追加設定すること及び他の金融機関に対する金利の支払いを停止することを申し入れ、担保の設定については渡辺の承諾を得た。原告は、右承諾を受けて、同年一二月二六日、麻布自動車株式会社に対する債権を担保するために同社のほか麻布レジエント株式会社及び渡辺の保有する被告の全株式に根担保の設定を受け、その他の被告の保有資産についても担保の設定を受けた。
(五) 原告は、被告の再建を図るべく、平成三年一二月ころには、被告に対して、保有不動産を売却し借入金の圧縮に努めること、事業を整理すること、重要事項の決定とその実施のために岡野一郎を委員長とする経営委員会を設置すること及び経費削減を徹底することを内容とする指示書及び被告の代表取締役人事と経営企画室の構成を示した書面を交付した。そして、同月二六日に、右指示書に従い、被告において渡辺が代表取締役会長に、柴田が代表取締役社長に、岡野が代表取締役専務に就任したほか、翌四年一月、岡野を総括室長とし、栗田を営業部門、北を経理部門担当とし、そのほか被告の生え抜きの社員である井上常務らを加えて経営企画室が組織されたが、そのころ、被告の取締役一六名中六名が原告からの出向者らで占められることとなった。
なお、同月二四日には、被告の代表者印、銀行印等の印鑑の保管場所がこれまでの社長室の金庫から原告からの出向者らが新たに購入した金庫へと変更された。
(六) そして、原告は、翌四年一月一三日、すでに抵当権が設定されている不動産で賃貸されているものについて、他の金融機関から仮差押をされるのを回避することも慮って、賃料債権について譲渡担保の設定を受けるべく、原告の営業推進本部プロジェクト推進室において、本件差入証を起案し、原告会社の井上常務又は北管理部長に申入れ、前記のとおり、渡辺の承諾を得た上で、被告との間で、本件賃料債権について本件譲渡担保契約を締結した。
(七) その後、平成五年三月四日、渡辺は、臨時株主総会を招集し、原告出身の取締役らを解任した。これにより、原告は、被告に対する再建支援を打ち切り、同月五日、原告の麻布自動車株式会社に対する貸金債権の根担保として差し入れられていた前記株式を一株当たり五〇〇円で処分し、債権の弁済に充当するとともに、同月一〇日、本件譲渡担保契約に伴う本件取立委任の合意を解除した。
2 抗弁2について
前記認定事実によれば、確かに原告は渡辺から麻布グループ企業の経営に関する一切の権限を委任するとの内容の本件委任状(乙第四号証)の交付を受け、被告に原告社員を出向させ又は派遣し、本件譲渡担保契約の締結のころ渡辺らの保有する被告の株式にまで担保の設定を受け、事業方針や被告社内の重要事項を決定実施する経営委員会の設置を指示するなど被告の経営に関与している。
しかしながら、本件委任状の作成及びその交付は原告の要請によるもので、右交付に際し、原告と被告の間で原告が被告の事業に関与する事項や形態について具体的な話し合いがされたことを認めるに足りる証拠もない上、人材の派遣等については、前記認定のとおり、渡辺の要請を受けて、被告の再建のためにされたものであり、また、被告の株式に担保の設定を受けた行為は、本件譲渡担保契約の締結と共に、被告に対する支援融資を継続するために担保不足の事態を回避しようとして行われた措置であり、右株式の処分は、被告が原告からの出向取締役を解任して両者の支援協力関係が失われた後に債権回収の手段としてされたものと思料され、そもそも本件全証拠によっても、原告が被告に代わって被告の事業を行った事実はおよそ認められず、原告が被告の経営に関与したのも、その方法、形態、当時の被告会社の経営状況等に照らすと、その目的はあくまで被告の再建のためであり、その範囲は右目的を逸脱するものではなく、やむを得ない措置であったということができる。
結局、原告において被告の経営を乗っ取る意思が存在し、原告と被告との間で被告が主張するような経営委任契約が締結されたとはいえず、本件譲渡担保契約は、原告の従前からの債権の保全のために締結されたものということができる。
そのほか、本件譲渡担保契約の締結について、原告において、被告の主張するような優越的地位の濫用があったとか、正常な商慣習に照らして不当であるとする事情も窺えないから、右締結が公序良俗に違反するとの被告の主張は、採用することができない。
3 抗弁3について
原告が被告会社を乗っ取る目的で被告を欺罔して被告が主張するような経営委任を取り付けたとすることは未だ認められず、かえって、本件譲渡担保契約の締結は、前記のとおり原告が被告の再建のために被告に対して支援融資を続けていくためにやむをえない措置であったということができるのであって、右締結をめぐって、原告が被告に対して欺罔行為をしたとか、被告に錯誤や誤信があったということもできない。
したがって、被告の抗弁3は、採用することができない。
4 抗弁4について
原告と被告との間において被告が主張するような経営委任契約が存在しなかったことは前記のとおりであり、被告の主張する合意がされていたとの事実を認めるに足りる証拠もないから、被告の抗弁4は、採用の限りでない。
5 抗弁5について
前記のとおり、本件譲渡担保契約の締結は、被告代表者である渡辺の承諾を得て行われていたのであり、しかも、原告が被告に対して支援融資を続けていくためにやむをえない措置としてされたのであって、もっぱら原告の利益を図るために締結されたものであるということができないから、被告の抗弁5は、理由がない。
6 抗弁6について
(一) 本件譲渡担保契約の締結が商法二六〇条二項一号にいう重要な財産の処分に該当するか否かは、当該財産の価額、その会社の総資産に占める割合、当該財産の保有目的、処分行為の態様及び会社における従来の取扱い等の事情を総合的に考慮して判断されるべきである(最高裁平成六年一月二〇日第一小法廷判決民集四八巻一〇号一頁)。
本件においてこれをみると、甲第八号証、第二八号証、乙第三号証、第二六号証、第二七号証並びに証人坂本の証言及び被告代表者本人の供述によれば、譲渡担保を設定された本件賃料債権は、月額一億六九八六万五五一一円、年額二〇億三八三八万六一三二円であり、被告の平成二年六月一日から翌三年五月三一日までの営業収益四五八億〇九〇〇万円の約五パーセントに、平成四年五月三一日現在の貸借対照表上の総資産額5422億4636万4167円の0.37パーセントに当たり、一方、平成三年七月当時借入金五四九七億三一六六万三〇〇〇円をみるとその金利相当額にも満たないものであったこと、被告会社において、賃料債権を譲渡担保に供することは以前にはなかったこと、被告は、前認定のとおり、従来、不動産を購入してそれを売却することを主たる業務とし、転売による含み益の出るまでの間賃貸を行っていたが、本件譲渡担保契約の締結のころは、月々の借入金利の支払いにも困窮していた経営状況にあったため、借入金の返済のために不動産の売却等を中心に据え、不動産の賃料収入はそれを補完し、あるいは日常の経費を賄う役割を果たしていたこと、本件賃料債権の目的たる各賃貸不動産は、被告において借入金を返済して経営を建て直すための方策として売却が予定されていたが、当時の社会経済事情、殊に不動産の市況が低迷していた事情により売却に困難を来していたこと、経営の悪化した被告にとってはその営業活動を継続する上においては原告からの支援融資を受けることが必須であったが、右不動産を含む被告の所有する不動産には既に原告以外の債権者の抵当権が付されていたため、本件賃料債権に譲渡担保を設定することが原告からの支援融資を受ける上においてやむをえない措置であったこと、本件譲渡担保契約がすでに合意された銀行取引約定に基づき増担保差入義務の履行としてされたこと、さらに本件譲渡担保契約については譲渡担保権者である原告がいつでも解除することができるとの留保があるものの、被告に対し本件賃料債権の取立が委任され、取り立てられた賃料等は被告において支出しうるように配慮されていたこと等の事実が認められる。
以上の事情を総合的に勘案するならば、本件譲渡担保契約の締結が商法二六〇条二項一号にいう重要な財産の処分に該当するとするには疑問なしとしない。
(二) なお、本件譲渡担保契約の締結を重要な財産の処分に該るとして、検討を進めると、まず、弁論の全趣旨によれば、右の締結について被告において取締役会の決議がなかったことが窺われる。そして、本件譲渡担保契約の締結当時、被告においては、取締役一六名中六名が原告からの出向者であり、これらの者を中核とする経営企画室が組織されて重要事項の決定及びその実施をしていたこと、原告においては営業推進本部プロジェクト推進室部長の坂本が原告からの出向者らから被告会社の事業遂行について報告を受けていたこと、原告にとっては十指に入る高額の融資先である被告の再建及びそのための事業遂行に関心を抱かざるをえなかったことは前認定のとおりであり、これらの事情からみると、原告においては、本件譲渡担保契約の締結につき被告の取締役会の決議がないことを知り、又は知りうべかりしものであったということができる。
しかしながら、前に認定したとおり、渡辺は被告において支配的株主であったことはもとより、創業以来いわゆるワンマン経営者として経営を主導し、原告が被告に対して再建支援を行ってきた過程においても自らの一存で被告の意思を体現して行動していたこと、その渡辺に対し坂本が本件譲渡担保契約を締結するに先立ち本件賃料債権等を担保として供与するよう申し入れて同人の承諾を得たこと、原告は、本件譲渡担保契約の締結前に、被告の所有する不動産に担保権の設定を受けた際、被告から、取締役会決議の必要性について言及されたことはなかったこと、本件譲渡担保契約の締結当時においては、被告の重要事項の決定及びその実施のための機関として経営企画室が設けられ、同室において資金繰りのほか資産処分の方法等について決定することとされ、本件譲渡担保契約の締結についても、経営企画室において了解していたとの事情が窺えること、本件譲渡担保契約の締結について被告における重要事項についての決裁手続に従い稟議に回されていたこと等の事情が認められ、これらの事情に加えて、原告において被告取締役会の決議をあえて潜脱し、又は決議がないことに乗じて本件譲渡担保契約を締結したなどの事情が認められない本件においては、本件譲渡担保契約の締結につき取締役会の決議が存在していなかったとしても、原告の再抗弁において主張するとおり、被告がそれを理由に本件譲渡担保契約の無効を主張することは信義則上許されないというべきである。
三 以上の事実によれば、本件譲渡担保契約及び本件賃料債権の取立委任契約は有効であって、原告は別紙供託金目録記載の供託金の還付請求権を有するということができる。
よって、本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官門口正人 裁判官小林元二 裁判官松山遙)
別紙担保権目録<省略>